「残す」ということについて

 写真を撮ることって「残すこと」だと思うのよね。

「残す」努力、してる?

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PENTAX 67+105/2.4 DELTA400

写真は真岡のSL、C11 325号機。残す努力の結晶みたいな存在。

 

写真っていうのがフィルムではなくデジタルデータというカタチで記録されるようになってからもう20年。今はスマートフォンで写真を撮るだけは撮るけど、果たしてその写真は10年後でもちゃんと残ってるのか?と思うのです。

昔は撮ったネガやプリントを捨てなければ、何となくでも押入れの奥に写真が残ったものだけど、「スマホ替えたから写真残ってない」って人、まわりに結構いるんだよね。スマホをいつも持ち歩いて気軽に写真を撮るようになったけど、案外残るものって少ないんじゃない?

毎日のように撮られて膨大な数の写真データたちは、本当に残したいものも、どうでもいいものも、みんなごちゃ混ぜになってわからなくなる。そして全部一緒に捨てられていく。残さないと残らない時代になったなあと思う。

 

写真をどうやって「残す」か

さて、じゃあどうやって写真を残そう?

クラウドサービスとか光学メディアとか、いろんな方法があるけど、とりあえず大量のデータを保存するならとりあえずHDDかな。

僕は欲張りだから、撮った写真は特別なことがない限りは丸ごと全部保存したいのよね。外付けHDDを2つ用意して、片方をバックアップ用にしてる。スマホで撮った写真もHDDに入れてるよ。

 4TBの外付けHDDもいつの間にか1万円切るようになったね。

たくさん写真撮っても、とりあえずこれなら全部残せる。

でもまあ、100年持つとか言われてた光学メディアが30年くらいでダメになったなんて話も聞くし、HDDに保存したところでこの先ずっと残るかっていうとちょっと自信ないなあ。本当に大事な写真はプリントして、モノとして残しておくといいかもね。プリントなら何かあってもとりあえず見れるカタチで残りやすい気がする。

 

そうそう、全部残しておくっていう方法の良いところ。何年か後に見直したとき、その時の自分の考えとかそういうものも何となく分かってとても良い。某写真雑誌でもそういう趣旨で、名作と呼ばれる作品のネガをスリーブ丸ごと掲載したりしてたね。

 

 

 

 

 

昔と違ってデジタルカメラ、特に最近のスマートフォンの普及で手軽に写真を残せるようになった。だからこそ、一枚一枚の写真が持つ価値を少し考えなおして、「残す」努力について意識して写真を撮っていきたいな。そんな話でした。

 

 

 

 

ところで、冒頭に写真を掲載したC11 325号機なんだけど、実は東武に売られちゃったんだよね。真岡鐡道はもう一両SLを持っていて、いよいよ手には負えなくなってしまったみたい。写真の話とは違うけど、面倒を見てくれる所へ譲ってしまうのも、「残す」努力のひとつなのかもね。