だいぶ間が空いたが、2月の旅行の続きである。
もう4ヶ月経ったのか。時間の流れは早いものである。
書いておかないと、容易に記憶が薄れていくような気がするのは年齢を重ねたためであろうか。
3日目は姫路モノレールの遺構を見学した後、ホテルを出発して広島へ向かった。
広島は竹原で2泊するのだが、その前に江田島へ向かう。
江田島 旧海軍兵学校
今は自衛隊の第一術科学校というそうだが、旧海軍兵学校が江田島にある。
守衛に兵学校の見学希望であることを伝えると入場することができる。ただ、自衛隊の施設であるため、いつでも入場できるわけではない。見学ツアーの時間の20分前からとかだったかな。
かつて英国のダートマス、米国のアナポリスと並び、世界三大海軍兵学校と称されたそうで、明治に作られた建築群だけ見ても相当見応えがあるし、かなり手入れが行きとどいている。

素晴らしい大講堂。古い建物のはずだが、白い壁にはシミの一つも見当たらない。いや、探したら何かしらはあるのかもしれないが。
今でも大講堂として式典などの際に使用されるのだそう。


この日、一般の見学者は私だけ。他は防衛大の学生で全員制服だった。私がむしろ場違いな感じ。彼らは雨の中でも傘を差さないのね。濡れた肩を眺めながら、良い生地使ってるなあ〜などと思ってみたり。めちゃくちゃ撥水してた。

なんか有名な廊下らしい。坂の上の雲のロケ地なのだそうだが、残念ながら未視聴。
明治26年に建てられた歴史的建造物を傷つけぬようにしつつ、なんとかエアコンを設置する苦労が垣間見えるところが良い。

海軍の学校とだけあって、錨のモチーフがあしらわれている。
柱が一本だけ違うのは後から補修したものだろうか。よく見ると金具にビス留めで固定されている。
この階段の手すりは先ほどの廊下の脇に見つけたものだが、覗き込むようにしてカメラを向けていたところ、
「なにかあるんですか〜?」
といかにも陽キャの学生っぽい調子の声が、頭の上から降ってきた。
階段の手すりを眺めて感心しているような大人は見たことがなかったのだろう。
何を見ていたのか努めて冷静に白状したが、「ほーん」といった感じで離れていった。
陽キャこわい。

あいにくの雨模様であったが、一番見たかったやつ。
戦艦陸奥の主砲塔。改装時に取り外したものだそうだ。
その右には駆逐艦梨の12.7cm高角砲と、よく見えなかったが同じく駆逐艦梨の四連装魚雷発射管などがあるようだ。駆逐艦梨は戦後サルベージされて護衛艦わかばとして使われたことで有名な艦だね。
見学ツアーから外れて歩き回るわけには行かないため、この角度と距離からしか見学できないのが残念。いつか40cm砲塔を間近で見てみたいものだ。
海上から貸しボートに乗って見学する手段もあるとか。

ツアーの最後に見学する教育参考館。
その脇には戦艦大和の主砲砲弾と甲標的、その奥には特殊潜航艇の海龍、その奥には駆逐艦雪風の錨などが展示されている。
2010年代にオタクをやっていた人間には「艦これ」で馴染みの深い甲標的。艦これやってなかったけど。
実物が見られるのは国内ではここが唯一で、実際に真珠湾へ投入された5隻のうちの1隻を、戦後アメリカが引き上げたのものだそうだ。
教育参考館内部だけは撮影できない。特攻隊員たちの遺書などが展示されている関係上、遺族への配慮をしてほしいとのことだった。私も、特攻隊員たちの遺書に関しては感想を述べるのが憚られる。そもそも、言葉にならない。
帝国海軍の創設から太平洋戦争終結までの歴史をここまで詳細に辿ることができる施設は他にはないだろう。
平和学習が目的の博物館などと少し雰囲気が違うのは、やはり自衛隊が管理する施設であるからであろうか。戦争の悲劇性ではなく、幕末から太平洋戦争終結までに至る日本海軍の歴史と、先人たちの考えなどが保存されている施設であるとまとめたい。
錨とともに台湾から返還された雪風の舵輪もここにある。
重巡青葉や戦艦陸奥の菊花紋章なども圧巻であった。
江田島を後にする
その前に、車が汚い。長野で付けてきた泥汚れと融雪剤があまりにも汚い。

江田島で洗車機に突っ込まれるロードスターの図。
雨も降ってきたしね。もはや拭き上げの必要もない。
姫路でも洗車を試みたのだが、行ってみたコイン洗車場が稼働していなかったので諦めていた。

ドライブのコースとしても楽しかった。音戸大橋というのか、何度もループ橋を回って高度を上げたり、ひたすら海の見える道を走ったり。
狭い道が多くて怖いところも多かったけれども、退避できる場所を見つけるたび、地元車に進路を譲りながら慎重に走った。
































